構造改革に物申す!現実を見よ!!!2012年05月02日 20:10:48

 2012年4月29日未明に起きた関越道藤岡でのツアーバスの事故。大変痛ましい事故でなくなれた方々、お怪我をされた方が大変気の毒でならない。しかし日本では事故を起こした運転手だけがとりわけ「悪者」扱いされているようにも思えてならない。運輸業会の背景にある構造的な過当競争が今回の事故を引き起こしたと思うのは私だけだろうか。
 都市間を結ぶバスには「路線バス」と「ツアーバス」がある。両者には法的な大きな違いがあるのはマスゴミの既報のとおりだ。例として東京・大阪(新大阪)の料金を取り上げてみたい。

新幹線      10,270円(指定席・のぞみ)
JRハイウェイバス 4,900円〜6,000円
ツアーバス    モノによりけり約3,000円

と大きな違いがある。この値段では国交省の認可のもとで運行しているJRバスなどは価格競争の点だけで見ると完全に負けてしまう。市場原理主義者の竹中平蔵や小泉なら言うであろう「自由競争の結果安価なサービスが出てきて消費者には選択の幅が広がり、利益をもたらした」と。しかし考えてみるがいい。いくら安くても死という最悪のリスクを覚悟して乗らなければならない乗り物に誰が乗るのか。大戦中の特攻機に乗り込むような行為としか思えない。少なくとも私なら「命と引き換えに安い方を選ぶ」という選択はしない。「安物買いの銭失い」ならぬ「安物買いの命失い」ではないのか。昔から言う「美味い話には裏がある」とはまさにこのことであろう。

 小泉改革がもたらしたもの、それは「劣化した市場経済」である。「悪貨は良貨を駆逐する」の例えの通り質の高いサービス・製品(良貨)が駆逐され危険で質の悪いサービス・製品が跋扈するようではこの国の未来は国民を道連れに絶望の奈落の底に墜ちるだけである。

第二東名は日本版アウトバーンを目指せ!2012年05月02日 20:51:55

 第二東名が開通した。この銭なしの日本にいったいどこにそんなもの作る金があるんだという話もあるし、私も本来作らなくても済むと思う。しかし敢えて言いたいことがひとつだけある。それは街を走っている国産車がワンボックスやミニバンなど「走ることを忘れた車」ばかりであること。私もドイツ車に乗っていた経験がある。ドイツ車=高級車ではない。私が乗っていたのはドイツフォードが生産したMondeo 2.0 GLX station wagon である。200万円ちょっとの車だった。内装はとても地味。黒一色で「走る事務機」というところか。しかし走らすとすごかった。2000cc4気筒エンジンは3,000rpmから上は怒涛のごとく吹き上がり国産の2、500ccも楽にカモれるほど。

 Mondeoが私に教えてくれたこと。それは車とは
「走る・曲がる・止まる」
ことが基本であること。いまの日本車はまるでそのことを忘れてしまった。車高の高いミニバンで日本のようなカーブの多い道を安心して走れるはずがない!いくらサスペンションが電子制御技術が進歩しても限界がある。重心が低いことが走ることに寄与するのは言うまでもない。私の住んでいる地域は平均所得が大変高い所でベンツやBMW、VOLVOはごく普通に走っている、しかもほとんどがセダンやステーションワゴンのような車高が低いものばかりだ。ミニバンのような車高の高い車はまずない。

 よくよく考えてみるとドイツにはナチスドイツの大いなる遺産?であるアウトバーンがある。EU統一でだいぶ制限速度の設定がされたとはいえ、まだまだ最高速度制限なし、青天井で飛ばせる道路である。国産車の場合、現行法規では制限100km/hなので国産車メーカーは「制限速度100km以上で走った場合のトラブル・事故には責任を負わない」と公言できる。一方アウトバーンは青天井の世界。アウトバーンで走る車を生産するメーカーはその車が出せる最高速においてもブレーキや耐久性・安全性を保証しなければならない。日本みたいに100km超えたら「責任を持ちません」では済まされない。

 そう、「車は道が鍛える」なのだ。日本版アウトバーンこそ日本の自動車産業再生の鍵の一つではないのか。もちろん貧困にあえぐ若者の所得の保障を根幹とする破壊された社会保障制度の再構築も忘れてはならない。